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先週のブログでは社内での防災訓練の話を紹介していましたが、
今週は、東日本大震災で被害の大きかった岩手県陸前高田を訪問した時の話をしたいと思います。
まず、陸前高田がどこにあるのか・・・・震災直後のニュースでは良く耳にしていた地名ですが今一度場所の確認を!
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富山からだと車でノンストップで行っても7時間半もかかるため、陸前高田へ行く前に一旦石巻市の牡鹿半島まで行きました。
(朝6時出発で牡鹿半島(石巻市)の民宿に到着したのが夕方5時!約10時間の旅でした) -
さて、本題の陸前高田市にある高田松原津波復興記念公園の中にある「東日本大震災津波伝承館」での話にうつります。
伝承館は「道の駅 高田松原」と同じ建物内にあり入館料は無料となっています。中に入るとゾーン1から4まであり、過去に三陸であった地震の歴史から、東日本大震災の実態、教訓、復興への展示がされています。
政府を待たずに自衛隊がその日のうちに救助活動を開始したこと、余震が続く中での命がけの道路確保(くしの歯作戦)、遠野市が後方支援の拠点となったこと、花巻空港がSCU(広域搬送拠点臨時医療施設)となったことなど、知らないことがたくさんありました。 -
その中のゾーン2「事実を知る」では、被災をした実物の物、被災の現場をとらえた写真、被災者の声・記録等、現実の体験がここにはあります。
写真左 津波に押し流された消防車
地震直後から被災地域の消防団員が強い使命感のもと、水門閉鎖や避難誘導、消火活動、孤立した人達の救助活動などに尽力しました。この展示してある消防車は津波により山際まで押し流された状態で見つかった物ということです。乗車していた団員は無事とのこでした。
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伝承館を訪問した後は散歩がてら、公園内にある被災した建物等を目指します。
左の写真は震災後から復興のシンボルとして残されている「奇跡の一本松」です。
津波により高田松原の7万本の松が流され唯一耐え残った物です。枯死となっ現在はモニュメントとして保存されています。
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奇跡の一本松の横にあるのが、「陸前高田ユースホテル」です。
建物が半壊・水没しており津波の威力を後世に伝える震災遺構です。
この建物のおかげで奇跡の一本松が生き残ったとも言われています。 -
伝承館の中に「被災者が語る津波の脅威」のブースがあり、その中のとある少女の言葉にグッときたので残します。
「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて!」
今一度、防災に対する意識、見直してみませんか?!
総務 池田
震災を知る旅へ
2024.10.08
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