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社長の小池です。
先日、高志の国文学館で開催されていた
『大伴家持生誕1300年記念企画展
官人(つかさびと)大伴家持 −困難時代を生きた良心』
を見学してきました。 -
高志の国文学館では、富山県の大伴家持生誕1300年記念事業の一環として今年より3回シリーズで企画展を計画し、今年は官僚としての大伴家持に光を当てた企画となっています。
大伴家持といえば、現存する最古の歌集「万葉集」の編纂に深く関わったとされています。そんな歌人としてのイメージの強い大伴家持ですが、大和朝廷の官僚としての面も今回よく知ることができました。
学芸員の説明では、現代の霞が関の官僚が中央と地方を行き来するように、奈良時代もそのような人事が頻繁に行われそうで、大伴家持も地方を何箇所も行き来したそうです。
そして、その大伴家持が29歳の時、最初の任地として越中国に赴任した事を今回初めて知りました。
(天平18年(746年)8月に着任し、天平宝勝3年(751年)7月に帰京するまでの5年間、越中守として過ごしています。)
大伴家持の歌は「万葉集」の全歌集4516首のうち473首を閉め、万葉歌人中第1位です。
そして、その473首のうち越中時代の前の歌が158首、越中時代の後が92首に対し、越中時代には223首を読んでいます。
詳しい歴史的な検証や、文学的な事は分かりませんが、上記の事実だけでも大伴家持と越中国の結びつきを感じずには入られませんね。(やっぱ、その頃から富山ちゃ 良い所だったがやちゃね!!)
今回の企画展で特に興味を持ったのが、下の写真右側の太政官府の大伴家持の直筆のサインです。
太政官府とは、律令制下、太政官からその直属官吏に下す公文書の事だそうで、つまり今ではいえばキャリアの大伴家持がノンキャリの部下に出した公的な指示書というところでしょうか!
大伴家持自筆の自署で現存するものは2点のみだそうで、今回はその1点を見ることができたわけです。
何が書いてあるのか分かりませんが、1300年の時空を超え確かに大伴家持は日本に居たんだと感じた瞬間です。
写真を撮りたかったのですが、重要文化財であり写真撮影禁止でした!
カタログの写真撮影です。 -
更に、面白いのが写真左の木管です(これも重要文化財。平城京跡内裏北外郭官衛出土木簡)
この木管には「越中国羽咋郡中男作物鯖壹伯隻」と書いてあるのですが、当時越中国であった能登から、サバを税として都に送ったことが記されているそうです。
昔学校で、律令制度とは「奈良時代に唐の制度を習った中央集権制度。土地を支給し、税を徴収、兵役の義務も負わせ・地方行政制度を整理して国を統治した」って習ったような気がします。
しかし、紙も豊富になければ木管で用をたし、電話などの通信機器もパソコンもなく、学校もなくて文字というものの存在も一部の上流階級でしか通用しない時代に、律令制度で国を支配し、能登の田舎から平城京に税を納めさせていたという事実にも驚かされます。
どうやって、管理してたんでしょうか?
現代のサラリーマンなら、所得税を会社経由で税務署に収めて居ますが、これだって今ならパソコンがなかったら大変な業務です。
1300年前の日本人は、どうやって税金を計算し、徴収してたのでしょうか?当時は郵便局もなければ、宅急便だってない!ソロバンだってなかったじゃないかな?
「やっぱ、日本人って凄い」って、改めて思いました。
今回の企画展は6月5日で終わります。来年の企画展が、楽しみになりました!!
(記:小池英樹) -
富山市 高志の国文学館 大伴家持展
2017.06.06
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