阪神淡路大震災で思う「自然の中の人間」実感と、住宅

2018.11.24

社長の小池です。

 

前回のブログで、「北海道胆震東部地震の液状化被害報告」をさせて頂きました。

そうした中、日本経済新聞11月の「私の履歴書」を担当せれている奈良興福寺貫首 多川俊映氏が、11月18日に阪神淡路大震災について書かれていました。

大変示唆に富んだ記事であり、読まれた方も多いかとは思いますが、ブログに上げさせて頂きたいと思います。

 

以下、「私の履歴書」からの抜粋です。

 

『南円堂の平成大修理のさなか、1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きた。

・・・・・(中略)・・・・

日が経つにつれ被災地の破壊のありさまが次第に明らかになっていった。

・・・・・(中略)・・・・・

大学時代臨床心理学研究会でともに青春を過ごした仲間で神戸に住む朴正一君とやっと連絡がついた。・・(略)・・彼に会うために青木駅から2時間ほど歩いて神戸の中心地に入った。

 

その道々、「大地が振動するとこういう事になるのか」という思いを強くした。惨状の中にもダメージを受けていないエリアもあり そこにはごく普通の日常の光景があった。それを過ぎると再び、建物が倒壊した、ひどい状況が現れた。どう表現していいのかわからない違和感の中をひたすら歩いた。

大地には目に見えない筋というのがあるんだな、それが人の幸不幸を隔ててるんだ それが実感だった。

そうして歩くうちに 新開地で朴くんに会うことができ 握手して無事を確認した。すると彼が開口一番「俺、何も悪いことしてへんねやけど」と言った。 私にはその一言が忘れられない

朴君は確かに悪いことをしていない。というより人の気持ちを推し量ることが出来る人だ。

しかし、大地はそういう人間の善悪や都合なんぞをいささかも忖度しない。ただただその摂理というか運行のおもむくままに揺れるときは揺れる。

それが自然というものだ。その自然の中に私たちは生活させてもらっている。

だから「自然の中の人間」なのであり「自然と人間」という対等な関係ではなく、ましてや「人間と自然」ではない。

阪神大震災はそういう基本スタンスが問われたのだ と私は考えている。』

(抜粋ここまで。アンダーライン 太字は小池が付けました)

 

自然災害に見舞われことが多い日本人の自然に対する考えを、

宗教人の立場で的確にしめされている様に思いました。

 

 

来年で平成の時代も終わりますが、平成の時代を振り返ると常に出てくるキーワードが、地震・台風・異常気象等の自然災害です。

我々がお客様に提供している住宅は、お客様が「豊かでうるおいのある環境」を得る為の空間です。

その空間が、時として人知を越えた災害の前で無力になる事があると多川貫首は述べられています。

 

只、そうした中でも、少しでも生き残る可能性の追求は大事と思います。

倒壊した住宅による圧死を含めた地震災害記事を読むにつけ、心が痛むと共に住宅の耐震住宅の重要性を思います。

 

当社では、地盤の調査と対策は当然ながら、

地震対策として長期優良住宅を標準仕様として住宅の耐震等級Ⅱの住宅を建設しています。

(耐震等級Ⅱとは、関東大震災の1.25倍の強さに耐える住宅)

長期優良住宅を採用する事で価格の上昇は避けられず、

デフレマインドが続く時代において価格面だけで判断すれば厳しいところも有りますが、

やはり住宅の基本性能として、耐震性能は大事です。

 

富山県は確かに自然災害が少ない県ではありますが、私は耐震を考えた長期優良住宅をお勧めしております。


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