神無月と神在月

2022.10.27
  • 今年も早いもので、あと2か月となりましたね。
    今月からは全国旅行支援等も始まって、生活スタイルもWithコロナにようやくなってきたのではないでしょうか。
    さて、全国旅行支援より一足早く行った出雲大社のお話をしたいと思います。
  • 縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建の由縁が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
    主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。
    『古事記』に記される国譲り神話では、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲られます。そのときに造営となる壮大な宮殿が出雲大社の始まりといわれています。



    出雲大社は通常「いずもたいしゃ」と呼ばれています。
    実は、この呼び方は通称です。正仮名遣いは「いづもおおやしろ」なのです。
    一般的に、旧暦の10月は「神無月」と呼ばれています。
    ですが、出雲だけ、「神在月」と呼ばれていることをご存知ですか?
    これは、出雲に全国の神々が旧暦10月にお集まりになるという伝承から、出雲だけ「神在月」と呼ばれるようになったと言われています。
  • 出雲大社の主祭神「大国主大神」は様々な神話に登場する、出雲を代表する神様です。(代表的なのは「いなばのしろうさぎ」ですね)
    写真右側の人物が大国主神です。
  • 出雲大社で皆さんご存じの「大注連縄(おおしめなわ)」。一度はテレビやガイドブックでご覧になったこともあるかと思います。皆さんのイメージしていらっしゃる大注連縄は、本殿ではなく、「神楽殿」の注連縄です。実物を見ると本当に大きい!!!
    一般的に、注連縄は神様に向かって、右方を上位にして綯うそうですが、
    出雲大社では、古来よりその逆、左方を上位、右方を下位として綯う習わしがあり、
    「大黒じめ」と呼ばれています。
  • 現在の本殿(国宝)は延享元年(1744)造営されたもので高さは約24mですが、出雲大社の社伝によれば、太古の時代、出雲大社本殿の高さは現在の4倍、約96mあったということです。
    本殿の後ろにある八雲山が約100mですから、山の頂上付近に千木(本殿屋根の先端にある交差した二本の木)が見えていたと想像すると、現代でも圧倒される高さです。
    また平安時代の頃には約48mあったと伝えられ、平安時代中期の貴族の子弟の教科書『口遊(くちずさみ)』には、雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)という言葉が記されており、これは当時の建物の高さベスト3を表現していると言われています。
    「雲太」とは出雲大社本殿、「和二」は東大寺大仏殿、「京三」は京都御所の大極殿を示し、当時本殿が日本一の高さを誇っていた事が分かります。
    この説は明治時代から様々な研究がなされ、当時の技術ではその高さの木材建築は不可能ではないかとも言われてきました。しかし2000年に本殿の南側で鎌倉初期の造営と推定される三本一組の巨大な柱根が発掘され、巨大な神殿の存在を裏付ける発見となりました。
    (写真左:延享元年当時の本殿模型。写真に白く小さいのが人なので大きさが分かると思います。)
    (写真右上:本殿巨大柱根)
    (写真右下:本殿屋根二組の千木)
  • みなさんは全国旅行支援を使った予定はたてましたか?
    ちなみに今回訪れた島根県出雲市は、富山からだと車で片道ノンストップで約8時間です
    (休憩等も入れると約10時間コース?!私は10時間コースは無理と判断して、途中姫路を経由しました)

    総務 池田

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